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2009年 07月 07日

好文亭(kobuntei)~水戸偕楽園~ その2

「好文亭」の名前は、梅の別名「好文木」に由来する。

十訓抄「帝、文を好み給ひければ開き、学問怠り給へば散りしをれける梅は有りける。―とぞいひける」(広辞苑)

2層3階建て。水戸第九代藩主徳川斉昭(烈公)が自らその位置や建築意匠を定めたと謂われ、銘々のとおり質実で簡潔な建物である。昭和20年の空襲により全焼したが、昭和30~32年にかけて再建復元。
なお、昨日ご紹介した「奥御殿」はその後昭和44年に落雷により焼失し、昭和47年に復興されたものである。通常は併せて「好文亭」と呼んでいる。

SONY α700 / DT 16-105mm F3.5-5.6
「奥御殿」からの「好文亭」へ入ってみよう。
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「東塗縁広間」(ひがしぬりえんひろま)-烈公が家臣や庶民を招いて慰労の催しをされた部屋とのこと。
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総板張りの床は今も美しい。
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天井は「網代(あじろ)」張りである。
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続いて奥へ向かう。右手の部屋は烈公の「御座の間」。簡素な造りである。
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「西塗縁広間」(にしぬりえんひろま)-この部屋は文人墨客のために大きめに造られている。
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戦時を意識して造られた急な階段で3階まで上がってみよう。
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この3階は「楽寿楼(らくじゅろう)」と呼ばれている。烈公が城下を一望できるようにしたものであろう。
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烈公が陣太鼓の端材を用いて造らせたという、漆塗りの丸窓。
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奥御殿との通路屋根
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1階部分の屋根
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by iga1008 | 2009-07-07 19:45 | 建物・街並み


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