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2014年 09月 03日

古寺探訪~奈良篇④~「東大寺」

奈良というと、ここはもう代表的な観光スポットであろう。

昔、北国の田舎の修学旅行で訪れたのが初めてで、東京圏に移り住んでからも2~3度足を運んでいるところである。
いずれも大仏様が目的であったが、そのときはまだカメラを手にしていなかった。

今回は「撮る」ことが目的で訪れたわけであるが、あいにく拝観時間を過ぎていたにのは甚だ後悔しきりであった。だが、境内と「二月堂」を跳び歩いて久しぶりの「東大寺」をカメラに収めた。

「東大寺」の成り立ちはかなり入り組んでいて、今回もWikipediaの助けを借りることとした。
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東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。

金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁である。現別当(住職・221世)は、筒井寛昭。
奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、現存する大仏殿は江戸時代の18世紀初頭(元禄時代)の再建で、創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されている。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けられた。
東大寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。
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SONY α57 / TAMRON SP AF17-50mm F/2.8
「南大門」<国宝>
天平創建時の門は平安時代に大風で倒壊した。現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したもので、今はない鎌倉再建の大仏殿の威容を偲ばせる貴重な遺構である。
正治元年(1199)に上棟し、建仁3年(1203)には門内に安置する仁王像とともに竣工した。入母屋造、五間三戸二重門で、ただ下層は天井がなく腰屋根構造となっている。また屋根裏まで達する大円柱18本は、21mにも及び、門の高さは基壇上25.46mもある。大仏殿にふさわしいわが国最大の山門である。(東大寺HPより)
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仁王像二体は、昭和63年から5年間にわたって全面解体修理が行われ、天平創建期から向かい会って立っていたことや、山口県で伐採された木材が、約1年程で搬送され、古文書の記述通り、ほぼ70日間で二体同時進行で、造像されたことも証明された。(同上)
今年は10月6日から12月22日にかけて阿形(あぎょう)像(口を開いている像)を修理することとなっているようで、その間は観ることができなくなるそうである。口を閉じた吽形(うんぎょう)像は来年度に修理するとのことであるが、今回は拝観できてラッキーであった。高さ8mを超す像の修復は大変な作業であろうと思われる。
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「大仏殿」の入り口となる「中門」。<重要文化財>
私同様に遅く来た観光客が鹿と記念写真を撮るのに立て込んでいた。
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「法華堂」(三月堂)<国宝>
東大寺建築のなかで最も古く、寺伝では東大寺創建以前にあった金鍾寺(きんしょうじ)の遺構とされる。752(天平勝宝4)の東大寺山堺四至図(さんかいしいしず)には「羂索堂(けんさくど)」とあり、不空羂索観音を本尊として祀るためのお堂である。旧暦3月に法華会(ほっけえ)が行われるようになり、法華堂、また三月堂ともよばれるようになった。
もとは寄棟(よせむね)造りの正堂(しょうどう)と礼堂(らいどう)が軒を接して建つ配置であったが、鎌倉時代、礼堂を入母屋(いりもや)造りに改築して2棟をつないだ。正堂は天平初期の建築だが、礼堂は大仏様(だいぶつよう)の特色が見られる鎌倉時代の建築。時代の異なる建築が高い技術によって結ばれ、調和の取れた美しい姿を見せる。(東大寺HPより)
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「二月堂」<国宝>
旧暦2月に「お水取り(修二会)」が行われることからこの名がある。二月堂は平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の戦火には焼け残ったが、寛文7年(1667年)、お水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物である。本尊は大観音(おおかんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏である。建物は2005年12月、国宝に指定された。
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「修二会(しゅにえ)」の時にはこの狭い回廊(舞台)を大松明が駆け巡る。
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回廊からの眺め。前方に世界最大の木造建築である「大仏殿」の屋根が見える。
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「修二会」の練行衆が駆け降りる石段。
ここでの入江泰吉氏の逸話が司馬遼太郎氏の「街道をゆく・奈良散歩」に記されているだけに、一層興味津々で見させてもらった。
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by iga1008 | 2014-09-03 21:45 | 寺社


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