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カテゴリ:寺社( 55 )


2015年 09月 21日

戸隠神社~Togakushi shrine~

今月のはじめ、かねてから行きたいと思っていた「戸隠神社」(長野県長野市)へ出かけた。

仕事の都合で急遽変更した日程のせいで、台風の訪れる当日の参拝となったのだが、もとより雨の杉並木が撮りたかったこともあり完全武装で意気込んでの旅立である。

ところが、初日の「宿坊」は他に宿泊客は一人という状態に"荒天の賜物"と喜んだのもつかの間、予期せぬアクシデントはつきもので、楽しみにしていた「戸隠そば」の店はすべて早じまいをしていたのには驚いた。むろん食堂もない。
とうとうカップラーメンの夜食という情けない一夜を過ごしたという顛末である。(笑)

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戸隠神社
戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社です。
その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしています。(以上HPより)
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SONY α57 / TAMRON SP AF17-50mm F/2.8
戸隠神社「宝光社」ー戸隠神社の入口といった位置にある。270余段の石段の上に社殿がある。
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戸隠神社「中社」ー一帯に宿坊や飲食店のある、いわば中心部という位置づけ。杉の古木が3本あり、いずれも大木である。
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戸隠神社「奥社」ーここから奥社まで約40分かかる。もちろん車は入れない。
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「奥社」に辿る参道にある「隋神門」。その先が有名な杉並木。
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天然記念物にも指定されている樹齢約400年を超える「杉並木」
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雨脚が強まるなかの撮影行はやはりハードで、前日の「宝光社」の階段の影響もあって、「奥社」の参拝は次回に譲ることとした。(なんとも情けない・・・)

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by iga1008 | 2015-09-21 23:14 | 寺社
2015年 01月 22日

上野東照宮 sanpo

改修工事が終わった「上野東照宮」へ立ち寄ってみた。

黄金色の「社殿」はまるで新築のように光り輝き、上野の山にいるということを、思わず忘れさせてくれるほどであった。

改修中の記事はこちら

SONY α57 / TAMRON SP AF17-50mm F/2.8+MINOLTA AF50mm F1.4
『唐門(kara-mon)』-1651年(慶安四年)造営。国指定重要文化財。
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『透塀(suki-bei)』と彫刻。国指定重要文化財。
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『社殿』-1651年(慶安四年)造営。国指定重要文化財。別名「金色殿」。
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by iga1008 | 2015-01-22 20:44 | 寺社
2015年 01月 16日

「恵林寺(erinji)」~山梨県甲州市~ sanpo

今年の新年の初詣は、甲州の「恵林寺」であった。

京都の「苔寺(西芳寺)」や「天龍寺」の築庭で有名な無窓国師(1275-1351)により、1330年に開かれた寺である。

武田信玄の菩提寺であり、一度は信長により焼き払われたが、その後徳川家康によって再建されたという歴史がある。
興味深かったのは、家康亡きあと五代将軍綱吉の側近となる柳沢吉保が、信玄の法要を行うとともに寺内の修復を図ったとあり、また吉保夫妻の墓もこの寺にあるということであった。

SONY α57 / TAMRON SP AF17-50mm F/2.8 2015.1.2撮影
「四脚門」<国重要文化財>
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「三門」
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「開山堂」
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「恵林寺庭園」-無窓国師が西芳寺や天龍寺に先駆けて手がけた庭である。
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「本堂」にある「うぐいす廊下」-いままでの鴬張りとは一味違う音色に驚く。
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by iga1008 | 2015-01-16 15:12 | 寺社
2014年 10月 20日

出雲大社

高円宮典子様の婚礼が行われるひと月ほど前の9月11日に「出雲大社」を訪れた。

かねてから大注連縄(しめなわ)を見てみたいものだと思っていたのが主目的という、まさに物見遊山の旅である。

現皇室の祖神である「天照大神(あまてらすおおみかみ)」へ国を譲って、この出雲の国に社を建てさせたという「大国主命(おおくにぬしのみこと)」の言い伝えも、古いことなので今回は書かない。
ましてや、"法隆寺の聖徳太子怨霊封じ説"と"出雲大社の大国主命怨霊封じ説"の関連性などについてや、"四からみの建築構造や四拍手の疑念"も今回は無視して、ただ見物した次第である。(笑)

出雲大社(いずもおおやしろ/通称:いずもたいしゃ)☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

縁結びの神・福の神として名高い『出雲大社』は、日本最古の歴史書といわれる「古事記」にその創建が記されているほどの古社で、明治時代初期まで杵築大社と呼ばれていました。
主祭神は大国様として馴染みの深い『大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)』で、「古事記」に記される国譲り神話には、大国主大神が高天原の天照大神(あまてらすおおみかみ)に国を譲り、その時に造営された天日隅宮(あまのひすみのみや)が出雲大社の始まりといわれています。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(出雲観光協会HPより)

SONY α57 / TAMRON SP AF17-50mm F/2.8
出雲大社の境内図
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出雲大社入り口となる「勢溜(せいだまり)」(第二鳥居)
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ここから後ろを振り返ると、第一鳥居が見える。鉄筋コンクリート製で高さ23mもあるとのこと。
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第二鳥居を入って松の参道を進むと「第三鳥居」があるが、そこは割愛して「銅鳥居(第四鳥居)」まで進む。この先はすぐに拝殿となる。
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「拝殿」
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拝殿の大注連縄
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拝殿の右手を進むと「本殿」が見え始める。
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本殿の入り口「八足門」。ここから先は通常期間は入ることができない。
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左手に進むと「神楽殿」への入り口(西門)となる
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「神楽殿」ここが噂の大注連縄で知られるわりと新しい建物である。
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長さ13メートル、重さ5トンといわれる「大注連縄」
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以上、駆け足で回ってみた。

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by iga1008 | 2014-10-20 22:23 | 寺社
2014年 10月 07日

古寺探訪~奈良篇⑨~「法起寺」

奈良の古寺探訪も今回で最後となる。

 「法隆寺」(西院)は世界最古の仏教建築であるが、世界遺産として我が国第一号に認定されたのは『法隆寺地域の仏教建造物』となっており、「法隆寺」の建造物47棟と「法起寺」の三重塔を加えた48棟が含まれる。

 「法起寺」を訪れるために、法隆寺から中宮寺を経て野路をたどった。
途中、地元の人たちに道順を聞きつつ進んだのだが、"ほうきじ"と言うと「ああ、"ほっきじ" ね?」と言い直された。
この寺は、以前は「法起寺(ほっきじ)」と読まれていたが、世界遺産に登録されるにあたり「法起寺(ほうきじ)」の読みを正式名とすることとなったとのこと。
 地元の人たちはいまでも昔の呼び名で言うほうが多いようだ。

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「法起寺(ほうきじ)」(聖徳宗)
 法起寺は奈良県生駒郡斑鳩町大字岡本にあり、岡本尼寺・岡本寺・池後寺(いけじりでら)・池後尼寺と呼ばれている。
 この寺は、推古14年(606)に聖徳太子が法華経を講説されたという岡本宮(おかもとのみや)を寺に改めたものと伝え、法隆寺・四天王寺・中宮寺などと共に、太子御建立七ヵ寺の一つにかぞえられている。 (「法起寺」リーフレットより)

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SONY α57 / TAMRON SP AF17-50mm F/2.8
「南大門」ー江戸時代初期の再建。四脚門
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「西門」ーここが入り口となる
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「聖天堂」ー文久3年(1863)の建立
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「講堂」ー元禄7年(1694)に再建
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「三重塔」(国宝)ー慶雲3年(706)に建立されたとする日本最古の三重塔。
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この寺の創建はリーフレットにも明示されていない。しかし、『聖徳太子伝私記』に当時の三重塔にあった露盤銘が記録されており、それによると推古30年(622)に太子がその薨去に臨み、長子の山背大兄王に宮殿(岡本宮)を改めて「寺」とすることを遺命したとあり、さらには舒明10年(638)に福亮僧正が太子のために弥勒像一体と金堂を造立したとあるので、少なくともこのときには岡本寺(法起寺の前身)はあったのではないかとうかがえる記述となっている。その後「三重塔」は慶雲3年(706)に建立されたとされる。

 その後の時代の流れのなかで寺は衰退し、江戸時代の初め頃には「三重塔」のみを残すのみであったという。その荒廃を憂いて当寺の再興を発願した寺僧の真政圓忍(しんせいえんにん)とその弟子たちにより、現在の寺観が整えられるに至っている。
 この衰退の主因は、法隆寺西院に加えられた新たな太子霊堂と称される「夢殿」を中心とした法隆寺東院の建立にあると思うのは私見であるがどうであろうか?
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by iga1008 | 2014-10-07 15:24 | 寺社
2014年 10月 03日

古寺探訪~奈良篇⑧~「法隆寺」(雑記)

最後に「法隆寺」雑記を加えたい。

「法隆寺」には「七不思議伝説」がある。

 ①法隆寺にはクモが巣をかけない
 ②南大門の前に鯛石とよばれる大きな石がある
 ③五重塔の上に鎌がささっている
 ④不思議な伏蔵がある
 ⑤法隆寺の蛙には片目がない
 ⑥夢殿の礼盤(僧侶の坐る台)の下に汗をかいている
 ⑦雨だれが穴をあけるべき地面に穴があかない

というのだそうな。これはずいぶん古くからあるそうで、一説には江戸時代からとのことである。

このうち、拝観時にわれわれの目にみえるものだけ撮影してみた。

SONY α57 / TAMRON SP AF17-50mm F/2.8
「南大門」の前の「鯛石」
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「五重塔」相輪に鎌がささっている。(赤丸の部分)
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まあ、いまではそれぞれにそれらしい解釈がされているようであるから詳しく書かないが、ただ私がなんとも不思議だと思ったのは別にあって、金堂と五重塔の前にある「礼拝石」というものである。
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なんでも、僧侶たちが礼拝するのにこの場所からとする位置であるという。
「怨霊封じ」という「中門」の位置づけを考えると、これ以上近付くと危険という場所だったのではないか?と思ってしまう。

あと、これは他寺の裳階(もこし)構造の建物にもみられるので、怨霊説とは関係がないが、五重塔1階部分の「隅鬼」(「邪鬼」(あまのじゃく)ともいう)を撮ってみた。これは東西南北に各1体ある。
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おなじ「五重塔」最上層にある彫刻支柱も一風変わっていて面白い。
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以上で「法隆寺」から退散するとしよう。

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by iga1008 | 2014-10-03 17:52 | 寺社
2014年 10月 01日

古寺探訪~奈良篇⑧~「法隆寺」(3)

前回の「西院伽藍」につづいて、今日は「東院伽藍」を・・・。

この東院はあらたに奈良時代になってから、かって聖徳太子が住んでいたといわれる斑鳩宮の跡地に建てられたものである。
その中心は「夢殿」であり、聖徳太子の慰霊堂とされている。

ご参考までに法隆寺境内案内図をリーフレットからスキヤナで読み込み貼り付けしてみた。
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SONY α57 / TAMRON SP AF17-50mm F/2.8
東大門(奈良時代)国宝
 大宝蔵院を出て夢殿へ向かう途中に建っているこの門は、珍しい三棟造りという奈良時代を代表する建物の一つです。
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四脚門(鎌倉時代)重要文化財
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夢殿(奈良時代)国宝
西暦 601年に造営された斑鳩宮跡に、行信僧都という高僧が、聖徳太子の遺徳をしのんで、天平11年(739)に建てた伽藍を上宮王院といいます。その中心となる建物がこの夢殿です。八角円堂の中央の厨子には、聖徳太子等身の秘仏「救世(くせ)観音像[飛鳥時代]」を安置し、その周囲には聖観音菩薩像[平安時代]、聖徳太子の孝養像[鎌倉時代]、乾漆の行信僧都像[奈良時代]、平安時代に夢殿の修理をされた道詮律師の塑像[平安時代]なども安置しています。この夢殿は中門を改造した礼堂[鎌倉時代]と廻廊に囲まれ、まさに観音の化身と伝える聖徳太子を供養するための殿堂としてふさわしい神秘的な雰囲気を漂わせています。
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 この夢殿の中心となる仏像「救世観音像」は"秘仏"とされ、施錠された厨子の奥深く木綿布で幾重にも巻かれたまま保存されていたが、明治17年になり明治政府の公認のもと岡倉天心とアメリカの哲学者・フェノロサにより日の目をみたものという。その際にも、寺の僧侶たちは「祟りがある」と云い頑なに開錠を拒んだとあり、強引にフェノロサにより鍵を開けられたときはその場より逃げてしまったそうである。
 この木彫りの仏像は、発見者フェノロサによってモナ・リザに比せられた。口元に不思議な微笑みを浮かべていたからである。

ここまで説明するとどうしても画像を載せなければならないのだが、今回の法隆寺の記事で多大に参考・引用させてもらっている「隠された十字架~法隆寺論」(梅原猛・著)の口絵を借用させてもらうこととした。
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 ((だが、なぜ秘仏とされ、幾重にも木綿布で巻かれて鍵を掛けた厨子の奥へ隠されなければならなかったのかは謎のままである。詩人でもあり彫刻家でもある高村光太郎は「この仏の全体のスタイルは人のいふ通り北魏の様式を忠実に踏襲してゐて、釣合といひ衣紋のひだといひその左右斉整といひ、殆ど公式に従った抽象的形態を持ってゐるのであるが、首がまるで違ふ。顔面となると、ガンタラ系統の様式がどこにもなく、ただアーカイックな、ナイーブな人面がそこにある。」(『高村光太郎選集6』)と批評しているようで、この顔の部分は聖徳太子であるとの意見は定説化している。そして、この仏像をこしらえた仏師については「この仏師造り畢(おわ)りて、久しからずして死に畢る。その所以を知らざるの者なり」(『聖徳太子伝私記』法隆寺僧・顕真著)と記録があるそうで、いよいよ謎めいている。))
東院鐘楼(鎌倉時代)国宝
 この鐘楼は袴腰(はかまごし)と呼ばれる形式の建物で、内部には「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘が吊るされています。
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by iga1008 | 2014-10-01 19:18 | 寺社
2014年 09月 28日

古寺探訪~奈良篇⑧~「法隆寺」(2)

さて、いよいよ本題に入るわけであるが、記事が込み入ってお見苦しい点はご容赦願いたい。
ご興味のあるかたのみご一読を・・・。(笑)

「聖徳宗総本山 法隆寺」 世界最古の木造建築であり、日本の"世界遺産第一号"として知られている。

 仏教伝来は宣下3年(538)百済の聖明王より仏像・経論が贈られた年とされているが、別に欽明13年(552)とする説もある。
そして聖徳太子が生まれたと伝えられるのは敏達3年(574)。本名は厩戸(うまやど・うまやと)であり、厩戸の前で出生したことによるとの伝説がある。父親はその後用明天皇となり、太子は第二皇子として「厩戸皇子」と呼ばれていた。推古30年(622)、四十九歳にて歿している。なお、聖徳太子という呼称は生前にはなく、没後100年以上を経て天平勝宝3年(751)に編纂された『懐風藻』が初出と言われる。

 推古元年(593)に摂政となり、翌年「仏教興隆の詔」を発しているように仏教を広めることに力を注いだようである。これは母方の蘇我氏の影響があったためもあるだろうと思われる。そして、このことが後年(太子の死後)蘇我氏と対立関係にあった中臣氏(当時の仏教排斥派(?)。のちに藤原氏となる)の力が強まるにつれ、蘇我氏・太子子孫の抹殺といった歴史を形成する原点でもあったように思われる。この時代は神と仏は厳然として背反するものであったとは想像に難くない。

 ともあれ、想像するしかない時代のことなのでいささかの決意をもって、ここは「法隆寺略縁起」という法隆寺の発行するリーフレットを中心に画像の説明文を構成してみた。(簡単に言うと「ですます調」の文章はすべてリーフレットから引用である) さらに(( ))で閉じた添え書きは、「隠された十字架~法隆寺論」(梅原猛・著)から引用した部分を含んでいる。

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法隆寺
 法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として広く知られています。その創建の由来は「金堂」の東の間に安置されている「薬師如来像」の光背銘や「法隆寺伽藍縁起幷流記資財帳」(747)の縁起文によって知ることができます。
 それによりますと、用明天皇が自らのご病気の平癒を祈って寺と仏像を造ることを誓願されましたが、その実現を見ないままに崩御されたといいます。そこで推古天皇と聖徳太子が用明天皇の ご遺願を継いで、推古15年(607)に 寺とその本尊「薬師如来」を造られたのが この法隆寺(斑鳩寺とも呼ばれています)であると伝えられています。
 現在、法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられています。広さ約18万7000平方メートルの境内には、飛鳥時代を始めとする各時代の粋を集めた建築物が軒を連ね、たくさんの宝物類が伝来しています。国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件、点数にして2300余点に及んでいます。
 このように法隆寺は聖徳太子が建立された寺院として、1400年に及ぶ輝かしい伝統を今に誇り、特に1993年12月には、ユネスコの世界文化遺産のリストに日本で初めて登録されるなど、世界的な仏教文化の宝庫として人々の注目を集めています。(以上、リーフレットより)

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ここでも少し書き加えるが、太子の時代に建てられた法隆寺は天智9年(670)に全焼したというのが現在の見方で、現存する法隆寺は太子の歿後100年ほどして和銅4年(711)に再建が成ったものとされる。この再建年度には政権の中枢に太子の後裔も蘇我氏もおらず藤原氏(中臣氏)が掌握しており、そのことがこの法隆寺という古寺のなりたちに謎の多い部分を加えたようである。

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南大門(室町時代)国宝
 法隆寺の玄関にあたるこの門は、永享10年(1438)に再建されたものです。
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南大門をまっすぐ進んで中門に着く。中門は立ち入り禁止である。
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中門及び廻廊(飛鳥時代)国宝
 深く覆いかぶさった軒。その下の組物や勾欄、それを支えるエンタシスの柱、いずれも飛鳥建築の粋を集めたものです。重厚な扉と左右に建つ塑像の金剛力士像[奈良時代]は、東西に延びた廻廊の連子窓と対照的な組み合わせで、並列して建つ塔と金堂を壮麗に包み込んでいます。
((この「中門」の真ん中にある柱と間口が四間という忌数であることについては謎とされており、一説には怨霊を封じ込めるための構造とする、すなわち法隆寺そのものの再建が聖徳太子の霊を封じ込めるためとの説を想起させる要因となっている。))
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門前にある平山郁夫氏筆になる石碑
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仁王像(奈良時代)重要文化財
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廻廊と連子窓(飛鳥時代)国宝
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金堂(飛鳥時代)国宝
 法隆寺のご本尊を安置する聖なる殿堂が金堂です。威風堂々としたこの建物の中には、聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像[飛鳥時代]、太子の父君用明天皇のために造られた金銅薬師如来坐像[飛鳥時代]、母君穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后のために造られた金銅阿弥陀如来坐像[鎌倉時代]、それを守護するように、樟(くす)で造られたわが国最古の四天王像[白鳳時代]が邪鬼の背に静かに立っています。そのほか木造吉祥天立像・毘沙門天立像[平安時代]が安置されています。
 また天井には、天人と鳳凰が飛び交う西域色豊かな天蓋が吊され、周囲の壁面には、世界的に有名な壁画(昭和24年焼損、現在はパネルに画かれた再現壁画がはめ込まれています)が描かれ、創建当時初の美しさが偲ばれます。
((ここの仏像、なかでも釈迦三尊像の釈迦・薬師如来坐像についてはさまざまな疑問が提起されているようである。すなわち、顔だちが二体とも似すぎている、如来像にしては服装や装飾が特異であるなどのことから起こる「仏像=聖徳太子」という説がある。ようするに釈迦像ではなく、正徳太子像だという説である。阿弥陀如来像は盗難にあって鎌倉時代にあらたに鋳造されたものであるので言及されていない。だが、「聖徳太子伝私記」という法隆寺僧顕真の著(暦仁1年(1238)著)に、「須弥壇の阿弥陀三尊像は間人皇女・聖徳太子・高橋妃の御本体ゆえ、もっとも根本の尊像なり」という文言もあるようだ。))
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五重塔(飛鳥時代)国宝
 塔はストゥーパともいわれ、釈尊の遺骨を奉安するためのものであり、仏教寺院において最も重要な建物とされています。高さは約32.5メートル(基壇上より)で、わが国最古の五重塔として知られています。
 この最下層の内陣には、奈良時代のはじめに造られた塑像群があり、東面は維摩居士と文殊菩薩が問答、北面は釈尊が入滅、西面は釈尊遺骨(舎利)の分割、南面は弥勒菩薩の説法などの場面が表現されています。
((この五重塔についても、上述の「聖徳太子伝私記」には「この塔の心柱の本には、仏舎利六粒・髻髭(もとどりひげ)六毛を納籠たり、六道衆生の利するの相を表す」とあるそうで、もちろん釈迦には髻も髭(髪やひげ)もない。これはやはり聖徳太子のものであろうと考えることは我々も理解できる。とすると舎利(骨)もやはり・・・となる。))
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金堂と五重塔を別アングルで
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大講堂(平安時代)国宝
 このお堂は仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建立されましたが、鐘楼とともに延長3年(925)に落雷によって焼失しました。幸い正暦元年(990)には再建され、ご本尊の薬師三尊像及び四天王像もその時に造られています。
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以上、法隆寺「西院伽藍」より。次回は「東院伽藍」を・・。

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by iga1008 | 2014-09-28 18:14 | 寺社
2014年 09月 24日

古寺探訪~奈良篇⑧~「法隆寺」(1)

奈良の古寺といえば、真っ先に思い浮かぶであろう寺が「法隆寺」であろう。
北国の小都市に生まれた私でも、この寺の名前はすぐに覚えた。それほど有名な寺である。

だがしかし、曲がりなりにも拙ブログに採用するとなっていささか混迷に陥っている。
理由は旅から帰ってから読んだ、「隠された十字架~法隆寺論~」(梅原猛・著)が主たる理由であるが、他にも類似の法隆寺説の存在に惑わされ続けているためである。
たとえば、法隆寺の創建年度や再建か非再建かなどについてさえ、日本の代表的な学者たちが激論を交わしつつ確定に至っていないようだ。古代の記録である「日本書紀」「古事記」などにも相違があって判断の材料とはならないとは困ったことである。これ以外にもあるが次回からの記事に書き添えてみたい。

ここは昔に戻って
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」 の世界にひたることが一番であろう。

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昔、「鏡池」ほとりにあった茶店跡に建つ歌碑
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その位置から正岡子規が見たであろう法隆寺の光景を撮ってみた
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「隠された十字架~法隆寺論~」(梅原猛・著)より引用
 先日のことである。私は久しぶりに、私の処女作「仏像-心とかたち」の共著者である、前の大阪博物館館長の望月信成先生におあいした。私は法隆寺についてのある仮説に夢中になっていた。望月先生におあいしたときも、法隆寺のことをたずねた。すると先生はいわれた。
「梅原さん。法隆寺はむつかしいです。五十年研究していてもさっぱり分からない。そして、この法隆寺という寺は、後からいろいろな事実が発見されれば発見されるほど分からなくなる不思議な寺です」
 たしかに望月先生のいわれる通りである。法隆寺にかんする多くの参考書を読むがよい。すべて何だかよく分からない。だいいち、この寺の建造年代についても諸説紛々、収拾するところを知らない。分からないものがいっぱいある。その分からないところがまた法隆寺の魅力でもある。
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by iga1008 | 2014-09-24 20:30 | 寺社
2014年 09月 23日

古寺探訪~奈良篇⑦~「薬師寺」

今回の古寺探訪の旅の一番の拝観対象は、ここ「薬師寺」であった。
それも「凍れる音楽」と呼ばれる「薬師寺・東塔」を一度見てみたかったという次第である。

だがしかし、なんとも落胆すべきことに「東塔」は数年前(平成21年)から大修理のためとして無粋な「覆屋」で覆われていた。平成31年まではこの状態とのことである。
「東大寺」の仁王像は間一髪のタイミングで拝観できたのだが、いずれにせよ古寺なので致し方のないところと諦めるしかあるまい。事前に下調べをしないのが私流である。

と、気を取り直して「薬師寺」の縁起をリーフレットからご紹介しておこう。

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 「薬師寺」(法相宗大本山)は天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、さらに文武天皇の御代に至り、飛鳥に於いて堂宇の完成を見ました。その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたものです。
当時は南都七大寺の一つとして、その大伽藍はわが国随一の壮美を誇りました。すなわち金堂を中心に東西両塔、講堂、回廊が立ち並び、なかでも裳階(もこし)を施した金堂や塔の佇まいの美しさは、"龍宮造り"と呼ばれて人々の目を奪いました。
 爾来1300年を経、この間幾多の災害を受け、特に享禄元年(1528)の兵火では、東塔(国宝・白鳳時代)を除く諸堂が灰燼に帰しました。
 昭和42年、高田好胤管主により薬師寺白鳳伽藍の復興が発願されました。失われた堂塔の復興を薬師寺の大悲願とし、お写経勧進によって、金堂・西塔・回廊、さらには平成15年3月に大講堂が復興され、白鳳伽藍の輪奐美(りんかんび)として甦りました。(以上、「薬師寺」リーフレットより。下記写真の解説も同じく。)
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とにかく、今回見ることができない「東塔」のみが白鳳時代の建築であるが、他のほぼすべての建物は最近のものであり、ここで古寺としてご紹介するのにもいささか後ろめたさが残るが、1998年(平成10年)に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。

SONY α57 / TAMRON SP AF17-50mm F/2.8
「南門」<重要文化財・室町時代>
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「南門」わきの受付を通ると正面にある「中門」
左に「西塔」の一部と、右に「東塔」の覆屋が見える。
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「中門」仁王像。これも新造なので色彩も美しい。しかし、なんとなく違和感を感じたのは何故だろうか。左右の像を一枚に合わせてみた。
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正面にある「金堂」
 「金堂」は薬師寺縁起によると二重二閣、五間四面、瓦葺の建物で各層に裳階(もこし)をつけた美しい堂で、龍宮造りと呼ばれています。薬師寺白鳳伽藍は、金堂をはじめとして東塔の意匠ですべて統一されています。また、「堂内の荘厳は美を尽し、燈火がなくても金色に光り輝いた」と伝えられています。
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左側に「西塔」がある。
 「西塔」は享禄元年に兵火で焼失し、昭和56年4月に453年ぶりに創建当初の白鳳様式をもって復興されました。
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右側にある「東塔」(薬師寺HPより借用)
「東塔」<国宝・白鳳時代>各層に裳階(もこし)をつけているため六重に見えますが、三重塔です。この特異な形が、全体として律動的な美しさを保ち、"凍れる(こおれる)音楽"という愛称で親しまれています。相輪の頂上に取り付けられた水煙は4枚からなり、その中には24体の飛天が透かし彫りされています。
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「金堂」の中を通り抜けると「大講堂」がある。たしかに大きい。
 「大講堂」は、正面41m・奥行20m・高さ17mあり、伽藍最大の建造物です。講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則で、これは南都仏教が教学を重んじ、講堂に大勢の学僧が参集して経典を講讃したためです。大講堂の本尊には彌勒三尊像(重文・白鳳時代)、後堂には仏足石・仏足跡歌碑(国宝・白鳳時代)が安置されております。
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工事中の「東塔」の裏手に「東院堂」がある。この建物は古い。
 「東院堂」<国宝・鎌倉時代>は養老年間に吉備内親王が元明天皇の冥福を祈り、発願建立されたものです。天禄4年(973)の火災で焼失、弘安8年(1285)に建て替えられました。
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外塀はいかにも古寺の雰囲気が残る。
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by iga1008 | 2014-09-23 00:14 | 寺社